利休の遺偈                   川辺勝一

 私が日本刀に興味を持つようになって五十年になります、お茶に興味を持つようになってからは三十年を過ぎました。二十年ほど昔、千利休の事を書いた本を読んでいて「利休の遺偈」と出会いました。内容の激しさに驚きましたが、その時は、豊臣秀吉から切腹を命ぜられたことへの怒りを遺偈に現したものと思い、あまり深く考えることはありませんでした。その後、利休の事を研究して発表された文章などに出会ううちに、千利休という人は「日本刀」に対して独特の価値観を持っていたのではないかと考えるようになりました。

 千利休は大永二年(1522)泉州堺に生を受け、天正十九年(1591)京都聚楽屋敷で生涯を終えるまで戦国の世を生き抜き、織田信長、豊臣秀吉に仕えました。この間、戦場での惨状の見聞や小田原征伐の時、豊臣秀吉が山上宗二をなぶり殺しにした現場に居合わせたことなどから日本刀が刃物として使用される様は熟知していたことでしょう、又、自身が切腹という方法で生涯を終えたことにも因縁を感じます。しかし刃物としての日本刀とは別に、精神的な意味での日本刀の存在が利休の概念の中で大きな位置を占めていたものと考えられます。

 国土創成の天のぬぼこ、三種の神器、各地の神社の御神体など信仰の対象とされたものをはじめ、武人の精神的な支えとしての扱いなど日本人的な考え方と、それとは別に、趙州の露刃剣、寒光射斗牛、吹毛の剣、三尺の秋水など、中国大陸的なとらえ方(白髪三千丈の世界)や、禅の世界でのとらえ方などが利休の日本刀に対する精神性に大きな影響を与えたものと考えます。

 平成二年京都国立博物館で開催された「四百年忌千利休展」に、利休が割腹に使用したと伝えられる、粟田口藤四郎吉光作の短刀(吉光二字銘)が展示されました。説明文によると、「よく鍛えられた落ち着いた小板目肌」とのことでしたが、照明と研磨に問題があり、地刃の働きを楽しむことはできませんでした。しかし、利休拵と呼ばれる「黒塗合口腰刀拵」には見るべきものを感じました。本阿弥光徳に作らせたといわれるもので、赤銅の梅枝文目貫をはじめすべてが黒ずくめで、わずかに、鵐目(しとどめ)の金が光る様からは、綺麗寂(きれいさび)という言葉を思い出しました。利休の美意識の見事さと精神性を感じることができました。

 ここで冒頭に記した利休の遺偈に戻ります。

   人生七十 力□希咄     じんせいしちじゅう りきいきとつ

   吾這寶剱 祖仏共殺     わがこのほうけん そぶつともにころす

   提ル我得具足の一太刀    ひっさぐるわがえぐそくのひとつたち

   今此時そ天に抛       いまこのときぞてんになげうつ

この遺偈にある、宝剣、具足、太刀という字句はすべて日本刀を意味します。

利休が生涯をかけて育ててきた侘茶の道を日本刀に置き換えて表したものと思います。

以上のことをまとめて考えてみますと、遺偈の意味が判ってまいります。

   人生七十力□希咄   人生七十にして悟ることができた

   吾這寶剱       侘茶のこと

   祖仏共殺       凄い力(霊力)がある

   提ル我得具足     切り拓いてきた侘茶の道

   一太刀        一碗の茶

   今此時そ天に抛    今こそ侘茶の道を天下に問う

「人生七十にして悟るところあり、侘茶とは凄いものである、この侘茶の道を武器として天下に問い、雄飛せよ。」

これが遺偈の意味であり、大徳寺で修行中の孫、十四歳の宗旦少年に残した心の叫び、だったとおもいます。

この遺偈から、千利休が侘茶の道を悟り答えを見つける様子を垣間見ることができます。

 

文中の難解な文言に簡単な説明文を付けてみました。

天のぬぼこ   古事記の中で、イザナギ、イザナミの尊が国造りに使った矛。

三種の神器   歴代の天皇が継承してきた、八咫鏡(やたのかがみ)八坂瓊勾玉(やさ

        かにのまがたま)天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)

趙州の露刃剣  「そもさん、せっぱ」禅の世界で公案を解く方法、抜けば玉散る氷の刃、

        抜身の名刀に擬して考える。

寒光射斗牛   露刃剣の凄まじい一閃が北斗星、牽牛星を射るということで、宇宙の真

        理を貫くという意味。

吹毛の剣    研ぎ澄まされた名刀のこと、切先に吹き付けるだけで毛髪が切れる程の

        切れ味をもつ。

三尺の秋水   冷たく凛とした日本刀の輝き、研ぎ澄まされた刀が放つ光、日本刀その

        もの。

鵐目      刀の鞘の栗形の下緒を通す穴の飾金具。しとどは、ほうじろのこと、

        下緒(さげを)を通す穴の型がほうじろの目の形に似ていることから。

綺麗寂     一般的には「茶人、小掘遠州の茶風」のことを指すのだが、ここでは、

          千利休の審美眼の確かさを云う。