享保名物の「ニッカリ青江」と言えば、古い刀剣数寄者にとっては埋忠銘鑑、重要美術品全集、日本刀大鑑等でお馴染みの名刀です。しかし、刀剣乱舞ONLINEでニッカリのファンになった最近の刀剣女子は、全く別の感覚のようです。私はゲームがきっかけでも刀が好きになってくれれば良いと思っています。
さて私とニッカリの実物との出会いは平成8年9月まで遡ります。東京の某刀剣店の4階の展示室に刀身が飾られていましたが、キャプションも無ければ案内も無く無造作に置かれた状態でした。身幅広く、切先が大きく延び、青江派の特徴的な肌と逆足が入った刃文、さらに茎には「羽柴五郎左衛門尉長」と金象嵌所持者銘があるので、刀剣書籍で見たニッカリだとすぐに気付きました。そばにいた店員に「これはニッカリ青江ですね」と尋ねると「そうです」と言われ感動しました。香川県ゆかりの名刀だが再び実物を見る機会は無いだろうと思い、充分に目に焼き付けて帰りました。
そして翌年の平成9年に丸亀市がニッカリ青江とその拵を約6,000万円で購入したとプレス発表されました。私はよくやったと快哉を叫びました。ニッカリは常設展示では無く、3年に1度くらいの頻度での公開です。今回の令和6年10月12日から33日間の丸亀市立資料館の展示では全国から13,700人の入場がありました。
なお「ニッカリ」という異名には諸説ありますが、京極家の古文書ではニッカリと笑う化け物を切って、翌朝見ると石灯篭が切り落とされており、そのことから「ニッカリ」と名付けられたとあるようです。資料館には京極家の資料が大量に残されており、享保19年(1734)作成の「御刀脇指御印帳」という刀剣類の台帳の「につかり御小サ刀」の頁には「鞘黒塗」との記載がありますが、同時購入の糸巻太刀拵の記載は全くありません。
刀剣女子の間ではその事を知り、本当に太刀拵はニッカリの物だろうか? という声が数年前から次第に大きくなり資料館長も困惑していました。
ニッカリの本身を拵に入れればはっきりするが「ひけ傷」が付くと大変なのでそれは出来ません。そこで私は刀剣雑誌の付録で入手したニッカリの実物大ポスターを用意しました。そして「ニッカリ青江公開展」の飾り付けを日刀保讃岐支部が協力して行った時に、太刀拵から「ツナギ」を外してポスターの上に置きました。すると刀身は勿論の事、茎の形状も目釘孔の位置も完全に一致しました。文字通り寸分の誤差もありません。これで拵はニッカリの物に間違いないと証明されました。
この出来事を報告すると資料館長は「ニッカリ」と微笑みました。
丹生寿男【随想 ニッカリ青江】「刀剣美術」令和7年9月号(第824号)掲載